アマチュア無線技士国家試験の思い出(Ⅰ) 

2009年10月16日   JQ1KRT

小生が電話級アマチュア無線技士(現第4)の国家試験をはじめて受けたのは確か中学1年の春休みだったと記憶しています。

理由は忘れましたが、何かの拍子でアマチュア無線に興味を持ったのは小学校45年の頃でしょうか?当時は、ハムの国家試験用通信講座なども盛んでした。小生も、親に頼み込んで受講しましたが、無線工学などチンプンカンプンで全くと言っていいほど理解できませんでした。もっとも、免許を取った現在でも無線工学はチンプンカンプンですが・・・。

 

結果は、四者択一であるのに、あえなく撃沈。1年後の春休みに捲土重来を期して、東京は蒲田にある試験場、「日本電子工学院」に再度臨みます。試験開始時間は午後130分。受験票には「試験開始30分前には受験会場に入室を完了してください」との注意書きがあったような。

 

今回は受験勉強も一通りきちんとこなし、合格間違いなし、と自信を持って蒲田入りの予定でしたが、そこは結構小心者の小生。取手駅から国電(当時)に乗る前に、もう一度おさらいをしておこう、と考え、駅東口にあった「北村書店」(確かBooks北村ではなかったかな?)でハム国家試験の問題集をざっとおさらいしました。(立ち読みです)

当時は書店には当たり前のように、アマチュア無線の参考書やら問題集が揃えてありました。

 

今と違って、アマチュア無線は非常にポピュラー(かつ、高尚)な趣味だったのですね。

問題集を一通り流し見ても、解けない問題はなし。「よし、今回で合格はもらった」と確信を持って電車に乗り込みました。その時点で既に大きな落とし穴に落ちていたことも知らずに・・・。

 

取手から蒲田へ行くには、一旦上野駅に出てそこから京浜東北線に乗り換えなければなりません。父親が国鉄職員だったこともあり、電車で秋葉原あたりに出かけるのは小学34年の頃からお手のものだったおませな小生。秋葉原まで1時間ちょっとだから、逆算して11時半位に取手を出れば十分か、と予測を立てます。

 

今で言う、「マーフィーの法則」でしょうか。そういう時に限って、電車は直前に出てしまっていたりします。次は20分後で、1150分発。上野到着が12時半で、京浜東北線で蒲田駅に到着する頃は1時にならんとしていました。

「上野からずいぶんと時間がかかるなぁ、お昼食べてる時間がないかも知れない」としょうもないことを考えつつ、試験場へ急ぎます。試験場前には110分頃到着すると、なにやら人だかりが・・・。

 

試験官が遅刻して来た受験者と何やら言い争っています。会場の門がなぜか閉まっています。なんだろう、早く中に入らなければいけないんだけど、と思いつつ話に耳を傾けると・・・。

「午後1時以降は試験会場に入室できません。受験票にある通り、開始30分前に入室は完了していなければなりません。これは国家試験ですので、遅刻は一切認めません。試験会場の案内は既に取り外してあるので、中に入っても受験することはできません。次回の国家試験を申し込んでください」

 

ひぇ~~、オレは遅刻組かい、試験受けられないのかい。

わざわざ茨城から出てきたのに~。いたいけな少年に、いきなり社会の厳しさを教え込もうというのかい。(とは、口には出せませんでしたが)

でも、入室は頑として許可してくれません。

 

「目の前真っ暗」という言葉は正にこの時の心境そのものです。

仕方なく、意気消沈してトボトボと帰途につきました。

それ以来、なぜか無線熱は冷めてしまい、ちょうどブームだった「オーディオ」に興味は移り、約15年程の年月を無線とは無縁なまま過ごすことになります。

でも、これまたふとしたきっかけで、無線の世界に戻ってきました。

   (以降はまた別の機会に、、、)

 

 

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アマチュア無線技士国家試験の思い出(Ⅱ) 

リベンジ編

2009年11月25日  JQ1KRT

 その1では国家試験の苦い想い出を綴ってみましたが、高校時代には無線部があったのにも関わらず、オーディオに興味が移ってしまい、専らカセットデッキでFMエアチェックを楽しむ毎日を送っていました。本当は「オープンリールデッキ」が欲しかったのですが、高価なデッキは垂涎の的。入手は叶いませんでした。

 

 屈辱の国家試験遅刻不合格からいつの間にか約15年が経過し、「アマチュア無線家のタマゴ」は、「オーディオ小僧」を経て、何とか職にも就き、「嫁さんがなかなか来てくれない農家の長男」になり、先行きの事など眼中にも無いように、自分専用のクルマを手に入れ、旅行やらスキーやらに出かけ初めておりました。

 

 何の因果か、20歳代後半になって「山登り」に目覚めてしまいました。

キャンプ道具や登山用品やらを一揃い以上そろえてしまう物欲の強さと収集癖は現在でも健在です。なにせ、その物欲のおかげで、現在のシャックが存在するのですから。。。

 さて、本題。農家の長男が登山単独行を行うには、やはり少なからぬリスクが伴います。そうです。「遭難」という最悪事態のリスクヘッジを考慮しないわけには行きません。

 同時期に高校時代の友人と冬の期間はスキーに出かけたりし始めたため、当時流行った「私をスキーに連れてって」の影響をもおそらく受けたのでしょう、「アマチュア無線の免許を取ろう」という決心に至りました。

 

 まだ、大きな書店に行けばハム用の受験参考書は売られていた時期ということもあって、1988(昭和63)11月に東京晴海で電話級アマチュア無線技士の試験を受けました。

 密かに、「蒲田の日本電子工学院で今度こそリベンジか?」という思いもあったのですが、既に試験は「日本無線協会」の管轄下にありました。(実はどうだったのか覚えていません・・・)

 

 もうはっきりとは覚えておりませんが、晴海の試験会場も、今の江間忠ビルとは違っていたような曖昧な記憶があるのですがね。(バスに乗って行ったような気がします)

 確か、試験結果は即日結果発表だったと思います。以前よりは確実に易しくなった(と思われる)試験問題のおかげか今度は無事合格し、免許申請をして帰途につきました。

 

 帰り道は我慢できずに、秋葉原に寄り道して、スタンダードのC112「ポケクロ」(144MHzハンディー機)を「ロケット」で購入して帰りました。当時のロケットは昌平橋近くで6フロアくらいの全階がアマチュア無線製品・用品で占められており、現在とは規模が違ってました。2階か3階か4階か忘れましたが、HF機器のフロアーには畏れ多くて近づけませんでしたね。

 

 申請からしばらくして従事者免許が到着しましたが、パスポートのような見開き形から、パウチっこに変更されており、少々ガッカリ。従来形式の方が仰々しくて国家資格らしかったのですが。

 

 ま、時代の流れというやつでしょう。携帯にはパウチっこの方が便利ですのでね。

 局免申請も無事済ませ、ほどなく到着した免許状には当局の識別符号が目出度く記されていました。

 JQ1KRT

 ・・・。 KRTか、パッとしないコールだな・・・。うまい語呂合わせも思いつかんし。。。 キット(K)・ロクニ(R)・ツヅカナイ(T)かい? 縁起でもない。

もっとカッチョ良いコールだったら良かったのにな~。

 と、無い物ねだりの小生はワガママなことを考えますが、お上のなさることですから仕方ありません。

 

 以降430MHzのハンディー機・FMモービル機等の増強も行い、自宅屋根には2mGPアンテナ(X200)を設置。登山にスキーに、自宅からのラグチューにと、しばし無線の楽しさに没頭の時期を迎えます。

 

 なかなかCQに踏み切れなかったのは現在と同じです。 専ら、山頂からのCQで数局とQSOするのが山登りの際のひとつの楽しみとなっていました。

 スキー場ではヘッドセットで、仲間の連絡係を買って出て、自己満足に浸っていました。

 そんな時期も残念ながら長続きしません。

 

 開局から3年くらい経ったでしょうか?孤独な農家の長男にもいよいよ人生の転機が訪れます。楽園か墓場かの2者択一。そうです 「結婚」 です。

  以降はまた別の機会に。

 (注:当局が局免取得後、時を経ずしてJx1コールは枯渇し、7K1コールの割り当てが開始となりました)

 

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アマチュア無線技士国家試験の思い出(Ⅲ) カムバック編

2010年2月3日    JQ1KRT

 1995年に農家の長男も何とか「嫁さま」を迎えることができ、局免は継続しているものの、QRT状態がしばらく続きます。同時期に住民票を茨城県から神奈川県川崎市に移した(結婚に伴い自分だけ一時的に転居)こともQRTに拍車をかけたようです。

 

 そうは言っても、XYLにも一夜漬けで第4級の免許を無理やり取らせたりしていたので、続ける意思はあったのかもしれません。 ただ、通常のQSOをする機会はほとんどなくなってしまいました。山頂からのCQもほとんど行わなくなりました。

 

 5年毎の局免更新も、2000年には1度うっかり忘れてしまい、冷や汗をかきながら1ヵ月後に再免許申請をしましたが、同じコールで無事再免許取得、局としては免許継続していました。

 神奈川への転居も、2年ほどで茨城へ出戻り、土地の有効活用及び車庫確保のため、車庫兼物置の建築を計画しました。

 

 この時点で本格的なQRVの意思があったなら、現在はもっと違った設備になっていたかもしれませんが、残念ながら無線用設備は全く眼中に無く、むしろ「オーディオルーム」を作ろうという魂胆がありました。

 

 少年時代の「オーディオ小僧」からの念願だった、オープンリールデッキを4台も入手して、置く場所にも困ってしまい、「増殖しすぎたオーディオ機器も整理せねばならぬなぁ」と考えていた矢先に、ふとしたきっかけで、偶然本屋で見かけた懐かしい表紙のCQ Ham Radio誌を購入しました。

 

(オーディオと無線の本は同じコーナーにありました)

確かHF機の特集記事があったような気がします。

 CQ誌の購入は「そうだよなぁ、HFだったら日本全国とつながるよなぁ。VUとは違う世界だよなぁ」という極めてミーハーな理由です。

 

 さあ、大変。一度思い立ってしまったら小生は止まりません。オーディオ機器の整理など、既に忘却の彼方です。

早速、中古のHF(ICOM IC-736)をネットオークションで入手します。アンテナもベランダにマルチバンドGPを仮設置し、早速HF7/21MHz帯をワッチします。(この時点では、免許状は取得していません。SWLのみです)

 「・・・・・・・・」(無音です)

「なんだ、HFって誰も出て無いじゃん。がっかり」

しばらくそのような繰り返しが続いておりましたが、何のことはない、HFの事をよく知らない小生は、VUFMモードのつもりで、スケルチを全閉していたのでした。これではSSBで音など聞こえるはずはありません。

 やっと、己の愚かさを自覚し、スケルチつまみを開けると・・・

「・・・Jx6xxx。こちらはJx8xxx・・・」

 

おぉ~っ、来ました来ました、ついに聞こえてきました。6は九州・8は北海道ではないですか。こんなに簡単に日本中の電波が聞こえてきてええんかいな?

 今までVU1エリア限定だった小生には、全く新しい未知の世界がそこには広がっていました。

 

 いろいろとググってみますと(注:ググる=ネット検索するの意)、どうやらHF帯は4アマ免許の10Wでは通常QSOは少々厳しいそうな。50W若しくは100Wあれば日本全国と楽にQSOできるらしい。

 

 この時点で2007年末から8年初頭。JQ1KRT局、ほぼ15年のQRT状態からカムバックの決心をします。 20082月に3アマ、8月に2アマ、そして12月に1アマと1年間で3回もの試験を受けました。

 

 幼少の頃の屈辱と歳を重ねたおかげで、受験術には長けていたのかもしれません。2アマの電気通信術(モールス受信)では完全に撃沈を覚悟しましたが、なぜか結果OK。調子にのって、「行けるところまでいってしまえ」で、無謀にも4ヵ月後に1アマチャレンジです。

 まず理解不能だろうと思っていた、1アマの難解無線工学も、理論よりは受験テクニックでなんとか乗り切り、現在に至ります。

 

 かくして25/分のモールス符号の受信も満足にできない、「なんちゃって1アマ」の登場となりました。 2アマ受験から間をおかなかったのが良かったのかも知れません。何事にも「勢い」というのは大切ですものね。

 

 それまで、「電話級」での運用はVU(144/430)FMモードオンリーでしたが、上級免許取得を機にSSBモードそれにHF6mが加わって、EスポシーズンはHFハイバンド~6m、秋から春までは、コンディション次第であちこちのバンドを楽しんでいます。144SSB430FMは通年ボチボチ出ています。

 

 現在では移動局の他に200Wの固定局免許状も取得していますが、通常QSOでは50-100Wの出力がほとんどです。200Wはある意味で、「ここ一番」の時の保険と、無線機に常時フルパワーをかけないリグ思いのやさしい(?)小生でした。

 

 クラブメンバーにも上級資格をお持ちの方は沢山いらっしゃいますし、3アマなら移動局の最高出力まで、2アマであれば一通りのアマチュアバンドは運用できるのでFBではないかと思います。ぜひ、4アマの皆様にも上級資格にチャレンジしていただきたいと思います。

 

 ひょんな事で2009年からは本クラブの各種行事等にも参加させていただくことと相成り、無線の幅が広がってきているに感じます。せっかくカムバックしたからには、息切れせずに長く続けたい趣味です。

 

 ここで歩みを止めてしまうと、またQRTへの道を辿ってしまいそうなので、常時どんなことでも良いから自分で定めた目標を持つようにしました。

 

 2008年は上級免許取得、2009年はJARL4大コンテスト参加、となんとか実現できました。

そして、2010年の目標は「CWでのQRV」に設定しましたが、相変わらず、相手局のコールサインが取れない状況で困っています。

 

 あわててCW Freakというフリーソフトで勉強し出しましたが、15WPMまでがやっとで、それ以上はほとんど取れません。20WPMくらいまで取れないと、実用にはならないようですが。。。

 

取れないCWをすぐ諦めてしまい、Phoneにダイヤルを合わせてしまう癖を何とかしたいものです。 以上で、幼少期からカムバックまでの3部作は終了とさせていただきます。

 

 最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。

                 de JQ1KRT JCC#1436